自己紹介に代えて とおる

どうも、中野ハウス住人のとおるです。

 

今日はみんな気になるシェアハウスの

人間関係について考えてみました。

 

大ヒットした『嫌われる勇気』にこんな言葉があります。

 

「人生のあらゆる問題は対人関係の問題である」

 

ふむふむ。


「あらゆる」は言い過ぎな気がしますね。

おしりのおできが気になる時もあります。

 

でも、たしかに身に覚えがある話です。

 

私たちの行動の動機をたどっていくと

そこには往々にして「他人」がいます。

 

ブッダも同じようなことを言っています。

 

「交わりをしたならば愛情が生ずる。
愛情にしたがってこの苦しみが起る。」

 

さらにつづけて、

 

「愛情から禍いの生ずることを観察して、
犀の角のようにただ独り歩め。」
(スッタニパータ)

 

言うことがなかなか極端です。

 

インドサイは群れをつくりません。
伝道の旅路、夕日に染まる草原をのしのし歩いていくサイを見て
ブッダはこう思ったのでしょう。

 

「あっ。いい喩えひらめいた」

 

仏教では、心がなにかに囚われることが

苦しみの原因だといいます。


愛着(=執着心)の原因となる人間関係に身を置かず、

ただ自分のみをたよりに歩みなさい――。

 

そんな無茶ぶりめいた言葉に憧れ、僕は夜の繁華街をひとり散歩します。

 

サラリーマン、大学生、カップル、外国人観光客や半グレ集団・・・

だれもが賑やかで愉しそうです。

 

僕は彼らのあいだを縫うように、
より明るい方へ、より楽しげな方へと歩いて行きます。

 

誰も僕のことを見ません。
誰も僕に関心を持ちません。
言いようのない実感がまじまじと迫ってきます。

 

「ゔぅっ・・・さみしい・・・」

 

・・・でも、なんだかいい気持ちです。

よくよく周りの人たちを見ると、みんな愛嬌のある

動物のような顔をしています。

 

僕は動物園の動物にやるような温かな視線を彼らに投げかけ、ひとりサイのようにゆっくりと家に帰ります。

 

「みんなお幸せに・・・」


こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して(中澤系)